モデルやプロ雀士として活躍している岡田紗佳さんは中国に住んでいた経験もあり、中国語がペラペラです。
美人でプロ雀士としても強いプレーヤーとしてマルチに活躍していますが、その生い立ちは壮絶だったようです。
そこで岡田紗佳さんの中国語や日本に来るまでの生い立ちをお調べしましたのでご紹介します。
【動画】岡田紗佳は中国語ペラペラ!
岡田紗佳さんが中国語で「お寿司を食べに来たのよ!」と興奮しているようすが映っています。
外国語が話せるととてもかっこいいですね。
字幕がないと何を言っているのかわからないほどみなさんペラペラ話されていて、本当にネイティブスピーカーのようですね。
紗佳さんは日本語を覚えだしたのは12歳のころだそうで、英語か北京語か上海語しか話せなかったと話しています。
中国は日本の25倍の国土のため、北京語(公用語)や上海語に広東語といった7つの言語が存在し、同じ国土なのに全く話せないレベルで違う言葉なんだとか。
上記中国語会話の番組はもう終わってしまったようですし、紗佳さんが中国語を話すところはなかなか見られないので貴重ですね。
岡田紗佳の生い立ちが壮絶だった!
1.突然中国に行かされることに
1994年2月19日東京生まれの岡田紗佳(さやか)さんは2023年で29歳になります。
日本人の父と中国人の母をもつ紗佳さんは6歳まで日本で過ごしていましたが、ある日母に
中国語を勉強しに、
小学校を卒業してきなさい
と言ったそうです。
紗佳さんはなぜこんなことになるのか理解できず、両親に捨てられたと思ったとか。
写真を見るかぎる紗佳さんのお母さんは美人ですが、子供ひとりで中国に行けなんて辛いですよね。
紗佳さんは中国人の祖母に育てられたようですがお母さんは日本で仕事しまくっていたようなので、働くのに面倒が見れないということで預けたかもしれません。
2.超スパルタな中国の小学校時代
中国人の祖母は中国語しか話せなかったそうで、紗佳さんは誰とも意思疎通をとることが出来なかったようです。
しかし慣れるのが早く半年くらいで中国語をマスターしています。
そして日本人学校ではなく現地の学校に行くことになり、「今日の体育は国語、理科は数学になりました。」と学習科目はほとんど国数英しかやっていなかったとか。
学校からの宿題は毎日大量に出て、終わるのには夜遅くまでかかったそうで、かなり学力重視の教育なんですね。
小学校5年間で中学2年レベルまでの教育がなされていたと岡田さんは当時を振り返っていました。
3.日本に来てからいじめに遭うことに
紗佳さんは6歳から12歳まで中国で過ごしていましたが、お母さんから「日本の学校にも通って日本語が話せるようになってほしい」ということで帰国することになります。
帰国し父親の祖父母の家に預けられることになって、紗佳さんはまた捨てられたんだと思ったと話しています。
しかも日本に帰国した紗佳さんは、日本語をほとんど忘れてしまっていて勉強し直したそうです。
また中国での文化が意見をはっきり言わないといけないもので、日本人の協調性文化を知らなかった紗佳さんはいじめに遭うようになります。
当時のことを紗佳さんは自身のアメブロで綴っていて
学校で仲間はずれにされたし、
紗佳さん自身のアメブロより
中国人と言って嫌ってくる人が増えた。
中国にいるときより圧倒的に増えた。
普通に私に対しての悪口を言えばいいのに、いちいち中国人って言うのが許せなかった。
ほんとに嫌われた時は廊下で通りすがっただけで「クソ中国人め!」って罵られたこともあった。
日本国籍を持っているのにハーフというだけでなぜ中国人と罵られてしまうのかとすごく疑問だったといいます。
大学時代にモデル事務所からスカウト
中国にいたときに勉強の習慣がついていた紗佳さんはいじめを勉強で見返そうと猛勉強の末、偏差値71の青山高校へ入学しています。
高校ではモデル事務所からスカウトされたそうです。
そのまま青山学院大学へと入学し2011年、non-noモデルオーディションでグランプリを獲得しています。
モデル仲間に麻雀アプリを勧められてハマってしまった紗佳さんは青山大学代表としてテレビの麻雀大会に出場することになりました。
中国でも麻雀はありますが日本とルールが違い、子供の時はそんなにハマらなかったとか。
麻雀大会がきっかけで2017年4月、日本プロ麻雀連盟所属のプロ雀士になっています。
かわいくて麻雀も強い紗佳さんの活動に今後も期待したいですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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