元バレーボール選手の川合俊一さんののぼり旗の効果はすごいようで、2024年パリオリンピックのときの勝利にかなり貢献したんだとか。
そこで川合俊一ののぼり旗のエピソードについて詳しく調べましたのでご紹介します。
【画像】川合俊一ののぼり旗とは?
2024年のパリ五輪権をかけた男子バレーボールの予選のとき、場外にはフジテレビの誰の思いつきかわかりませんが、現役時代のころの川合俊一さんののぼり旗がありました。
まるで今でもバレーボール選手として出場するかのような雰囲気もあるような・・
また川合俊一さんの現役時代だけでなく年齢を重ねた2023年ののぼり旗もなぜか現役選手に混じって存在しており、写真を撮るファンもいたようです。
並んでいるとこちらとしては頼もしいような気もしてきます。
なぜこんなことになっているのかわかりませんが、これがパリ五輪の勝利に大きく関わってくることになろうとは、誰が予想できたでしょうか・・
川合俊一ののぼり旗がパリ五輪に貢献!
パリ五輪への予選会でフジテレビの誰かが用意した川合俊一さんののぼり旗に、もちろん川合さん本人も気づいたそうです。
するとその日の試合は勝利しましたが、川合さんは恥ずかしくて自分ののぼりを下げてもらうことにすると、翌日のエジプト戦に負けてしまいます。
そこでプロデューサーが「縁起が悪いからもう一度のぼりを立てていいですか」と、再び川合さんののぼりを立てることに。
すると日本は4連勝しパリ五輪への出場が決まりました。
続く7試合目でのぼりを外したところ日本はその試合で敗戦したことから、川合さんののぼり旗の影響はすさまじいことがわかりますね。
川合俊一が試合を観戦すると勝利も!
川合俊一さんはのぼり旗だけではなく、川合さん本人がもはや勝利の神様になっているようです。
パリ五輪のときには日本バレーボール協会会長の川合さんももちろん観戦していました。
なんと川合さんが試合を観戦すると日本は負けないというジンクスまであるようです。
しかし準々決勝の試合には川合さんは観戦せず、日本はイタリアに負けてしまいました。
ジンクスを知っていたコメンテーターから
なぜパリから帰ってきたの?
と言われ、川合さんは「会長職は大変なんです」と返しています。
川合俊一が心がけている運気アップのコツとは
川合さんが運気を上げる秘訣を話す様子がありました。
普段から頑張るといいことがあると強く信じて行動しているのではないかと考えられる内容ですね。
川合さんは中学校からバレーボールをはじめましたが、実は日体大時代まではレギュラーももらえずに日の目を見ない選手だったようです。
富士フイルムに入社し、日本代表になったのはレギュラーだった選手が怪我をして川合さんが代わりになったからだったといいます。
そこで川合さんは「自分は運がいい」と強く思うようになったんだそう。
川合俊一プロフィール
1963年2月3日新潟生まれ、2024年で61歳になる川合さん。
8歳のころ東京都大田区に引っ越しています。
背が高いので何かもっと背が高くなるスポーツをさせようと父親に言われ、バスケットボールを始めようと考えたそうです。
しかし地元の中学校ではバレーボールが強かったので、バレーボールを始めることに。
1985年には富士フイルムに入社して男子バレーボール界をリードするようになります。
1989年26歳で全日本の主将に就任を依頼され、前年のソウルオリンピックで引退しようと考えていたものの、引き受けています。
翌年に引退しロサンゼルスに遊びに行くと、ビーチバレーに出会い、日本で広めようとビーチバレー選手として世界を回ることに。
1991年からキャスターとしての活躍やバラエティ番組にも出るようになりました。
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