福田和子の逃亡経路は33拠点!北海道で気づかれたときの対応が怖い!

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福田和子
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2024年11月12日放送の「仰天ニュース」で福田和子の15年間に渡る逃亡劇が放送されます。

この記事では、逃亡経路や北海道で気付かれたときの対応について詳細に解説していますのでぜひ最後までご覧ください。

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目次

福田和子の逃亡経路は

1982年から1997年まで15年にわたる福田和子の逃亡経路を数えると、知られているだけで33拠点ありました。

佐木隆三「悪女の涙」より

①愛媛県大州市

1982年8月19日、福田和子は愛媛県松山市で同僚のホステスの首を絞めて殺害しています。

夫には「襲われたから正当防衛で殺した」と伝え一緒に山中に埋めると、車で自宅のある大州市に戻っています。

1982年8月24日、捜査の手がおよんでいると気づいた福田は夫や子供達を置いてタクシーで逃亡しました。

ここから福田の逃亡生活が始まります。

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②大阪府大阪市

1982年8月25日、大阪市内の銀行で殺害したホステスの口座から76万円を引き出していました。

大阪城

一方で夫は警察による事情聴取の結果死体遺棄で逮捕され、ホステスを埋めたという山中まで連行され8月28日にホステスの死体が見つかっています。

福田には子供が4人おり、逮捕された夫は再婚で2人、前夫との間に2人の子供がいました。

福田が逃亡後、4人の子供は最初の夫に引き取られますが、再婚した後にできた2人とは折り合いが合わず香川県にいた福田の母が引き取っていました。

③石川県金沢市

福田和子は大阪から本当は青森まで行き、死者の霊魂が集まるとされる恐山で殺してしまったホステスに謝罪したかったそうです(真意は不明)。

金沢市内

しかし一本違いで金沢止まりの電車に乗ってしまったので、金沢で仕事を探すことにします。

そして金沢市内のスナックで働くことが決まると、福田はスナックのママに言わずに小松空港から東京へ向かいます。

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④東京・新橋

週刊誌の広告で整形外科を見つけた福田は東京・新橋の十仁病院で二重まぶたにして鼻を高くする手術を受けています。

当時は術後に10日間の入院と写真撮影が必要だったそうで、福田は嫌がりましたが写真を撮られています。

だいぶ印象が変わっているのでもとの福田の顔とはわかりませんね。

当時新橋にあった美容外科十仁病院(Xより)

時効まであと1年に迫った松山の警察が日本初の懸賞金100万円を出すとテレビで放送したとき、十仁病院の院長は福田と知らずに整形してしまったことに

逃亡を助けた責任を感じる

と懸賞金400万円を自ら出資しています。

現在十仁病院は移転しており、新橋にはありません。

⑤石川県金沢市

整形しスナックのママには謝って何事もなかったようにスナックで働いていると、1982年の12月ごろ妻子ありの営業マンに出会います。

スナックのイメージ

この営業マンが福田のスナックに通い始め、やがて性的関係になると、1983年4月に営業マンは離婚し福田と同棲を始めることになりました。

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⑥石川県白山市

福田は仕事を辞め金沢の隣町・白山市で営業マンとしばらく同棲生活を送っていましたが、営業マンから結婚をしつこく迫られ、逃げる資金が必要と考えました。

石川県白山市

1983年9月には同棲生活を続けつつも金沢のスナックで再び働くことにしています。

さらに福田はその営業マンとの子供を妊娠していましたが、中絶しつつその後もダラダラと関係を続けていたんだそう。

⑦石川県根上町(現在は能美市)

1983年10月、スナックに復帰からわずか1ヶ月後に福田は老舗菓子店「松村松栄堂」のご主人と出会い、恋に落ちます。

福田は営業マンとの生活に見切りをつけ、別のスナックで働くようになると、ご主人もそちらのスナックに足を運ぶようになります。

ご主人も妻子ある人でしたが、福田と体の関係を持つと、家業が疎かになるほど通い詰め、福田にマンションを借り与えています。

「松村松栄堂」(2018年に閉店)

ご主人は妻との関係も悪化し、1985年3月に離婚を決めます。

その3ヶ月後には福田はご主人に呼ばれ「松村松栄堂」の内妻として入ることになりました。

ご主人には2人の子供がいましたが、福田とは馴染めずご主人の前妻の元へと去っていきました。

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⑧青森県むつ市

1987年の夏頃、福田はかねてから行きたかった恐山にご主人と一緒に4泊5日の旅行で向かっています。

恐山ではイタコという巫女に死者の魂を憑依(ひょうい)させる「口寄せ」を通じて、生者と死者を合わせることができると言われています。

福田はここで自らの手で殺したホステスに会い詫びることができたのでしょうか。

普段は写真を撮られることを嫌がっていた福田でしたが、ここでは気が緩んだのかご主人に写真を撮らせています。

整形後の福田和子としての指名手配写真

ここでご主人に撮らせた写真がのちに指名手配の写真として公開されるとは思っていなかったのでしょう。

⑨石川県根上町(現在は能美市)

福田和子には4人子供がいましたが、長男とは逃亡中何度も電話をしたり会いに行くなどしていました。

1986年のあるとき、ついに長男をご主人と住む家に呼び寄せ、親戚の子どもだと言ってご主人のもとで住み込みで働かせます。

石川県根上町(現在は能美市)

前妻と離婚してまで福田と一緒になったのにいつまでも結婚しないご主人の姉がある日、福田の息子の免許証を見つけてしまいました。

ご主人の家族により通報を受け、1988年2月に警察がやってきた日はたまたま近所の葬式を手伝っており、外出していました。

黒いスーツの警察を見かけた福田は危機一髪で逃げきり、息子は万が一の言いつけを守り四国に帰っています。

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⑩その後

かろうじて警察からの追っ手から逃げ切った福田は、一ヶ所に3ヶ月以上いてはいけないと考え、その後は全国を転々とするようになります。

ノンフィクション作家の佐木隆三さんによる「悪女の涙」を参考にそれ以降の逃亡経路を調べると

  • 愛知県一宮市(1988年春)
  • 岐阜県大垣市(1988年秋)
  • 愛知県名古屋市(1988年冬〜春)
  • 福井県福井市(1989年春〜夏)
  • 大阪市生野鶴橋(1989年冬)
  • 大阪市天王寺区(1990年
  • 千葉県大多喜町(1990年春〜夏)
  • 島根県松江市(1991年)
  • 山口県下関市(1991年)
  • 大阪府守口市(1991年)
  • 大阪市旭区千林(1991年)
  • 大阪市東成区(1992年)
  • 新潟県新潟市(1993年春)
  • 青森県青森市(1993年夏〜秋)
  • 北海道函館市(1993年冬)
  • 北海道美唄市(1993年冬)
  • 大阪市北区曽根崎(1993年冬)
  • 大阪市北区兎我野町(1994年)
  • 大阪市生野区新今里(1994年)
  • 三重県津市(1996年)
  • 和歌山県和歌山市(1996年)
  • 大阪市北区曽根崎新地(1996年)
  • 大阪市西区九条(1996年秋)
  • 福井県福井市(1997年7月・逮捕

このようにしてみると、大阪市内への潜伏はかなり多いように感じられますね。

騒がしい大阪の都会が福田和子は好きなのでしょうか。

のちに長男によると、福田はかなりの寂しがり屋で飲み屋に一人では入っていけない性格だったと話しています。

人懐っこい性格がたくさんの男性を落とし金銭的にも補助を得て逃走資金を潤滑にしていたといわれています。

福田和子は北海道で気付かれていた!?

福田和子が北海道に潜伏しているとき、当時専修大学北海道短期大学にいた吉本芸人のタケトさんが遭遇していたことを話しています。

タケトさんは当時北海道の美唄市内でカラオケ店のバイトをしており、夜22時頃に1組のカップルがやってくるところを接客したと話していました。

タケトさんによると男性は建築関係の職業のような格好をし、女性はホステスっぽい格好で女性だけ受付のさいずっと後ろを向いていたのが奇妙だったといいます。

タケトさんは福田の特徴的な広いおでこを見ようと顔をのぞき込んだ瞬間に人差し指を出して「シッ」とやった話はゾッとしますね。

タケトさんが見たという福田のパッツン前髪を探すと、下記のような写真がありました。

名古屋市内のホテルで働いていたときの写真(Xより)

とても怖いですね、しかもマラカスとタンバリンを要求するところは福井市内のカラオケでも使っていたというから驚きです。

また歌っていた曲が「津軽海峡冬景色」なのは何か青森に思いがあるのでしょうか。

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捕まるのは逮捕2日前にわかっていたと供述していた

逮捕直前の福田和子は福井市内であるおでん屋に通うようになります。

時効直前で連日福田逮捕のための声や顔が全国放送され、おでん屋の常連客によって通報されました。

おでん屋を盛り上げるためにカラオケを歌ったときについたマラカスやコップの指紋が決定的となり、福田は逮捕されています。

テレフォンカードまで作られたこともあった

ノンフィクション作家の佐木隆三さんが逮捕後の福田に合っており、直接聞いた話では

おでん屋のママに日曜日ばったり会ったら
「あした来ませんか」と言われてピンときたんです。

と話しています。

じつはおでん屋のママには自分が福田和子であることを打ち明け、

懸賞金が500万円はすごい、もらった人が親のいない子の施設に寄付してくれたらいいな

とも話していたんだとか。

おでん屋のママは本当に寄付していたことがわかっており、2019年に閉店しています。

福田和子の最後は

福田は17歳のとき強盗に入り松山刑務所に服役中に強姦された経験がありました。

当時は暴力団関係者が看守を金で買収し男性組員により女性受刑者を強姦する事件に巻き込まれており、刑務所に入ることを極端に恐れていました。

しかし15年という逃亡生活が精神的にきつくなり、あきらめて逮捕を受けたのではと考えられます。

逮捕されたときの福田は49歳になっており、年齢的にもあちこち動き回る体力がなくなっていたのかもしれません。

福田は2005年2月に刑務所での工務中にくも膜下出血で倒れ、2005年3月10日に脳梗塞で亡くなっています。

福田和子の息子がなぜ無罪で逮捕されなかったのかについて下記で詳しく調べてあります。

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