能登半島(石川さゆり)歌詞の意味は何?阿久悠の勘違いから生まれた歌だった!

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石川さゆり
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歌手の石川さゆりさんの16枚目のシングル「能登半島」は2024年の紅白で歌われるなど話題になりました。

この曲は作詞家の阿久悠さんによって書かれたものですが、ちょっとした勘違いで生まれたようです。

そこで石川さゆりさんの名曲「能登半島」の歌詞の意味について調べましたのでご紹介します。

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目次

石川さゆり「能登半島」は阿久悠の勘違いで誕生!

石川さゆり「能登半島」ジャケット

石川さゆりさんの16枚目のシングル「能登半島」は1977年5月の石川さんが19歳のころに発表されました。

同年1月に発売されたシングル「津軽海峡冬景色」が累計売上枚数73万枚の大ヒットを記録し、ようやく演歌界のトップ入りを果たした石川さん。

この曲は有名になりすぎて石川さんは青森県出身だと思った視聴者も多かったんだそう。

名曲「津軽海峡冬景色」を作詞した阿久悠さんはそんな石川さんの出身地を石川県だと思っていたそうです(石川さんの出身地は熊本県)。

そうして「君がふるさとに錦を飾れるようにこの歌を書いたからね」と言われて渡されたのが「能登半島」だったといいます。

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石川さゆり「能登半島」歌詞の意味は?

1番目の歌詞について

「能登半島」は1977年に作詞:阿久悠さん、作曲:三木たかしさんにより生まれました。

石川さゆりさんのシングル「能登半島」の1番目の歌詞は

夜明け間近 北の海は波も荒く
心細い旅の女 泣かせるよう
ほつれ髪を指に 巻いて 溜息つき
通り過ぎる 景色ばかり 見つめていた

十九なかばの恋知らず
十九なかばで恋を知り
あなたあなたたずねて行く旅は
夏から秋への能登半島

「能登半島」より

「十九なかばの恋知らず 」で当時19歳だった石川さゆりさんのような若い女の人が主人公ですね。

好きな人が行ってしまったのは能登半島で、行ったこともない能登に慣れない足取りで夜行列車に乗って向かったのでしょう。

能登の海は荒れやすく、一人で向かうには心細くなる心情が描かれていました。

季節は秋、男の人を追いかける女の歌を書いたようですね。

2番目の歌詞について

「急行能登」(Xより)

ここにいると旅の葉書もらった時
胸の奥で何か急にはじけたよう
一夜だけの旅の仕度すぐにつくり
熱い胸にとびこみたい私だった

十九なかばの恋知らず
十九なかばで恋を知り
すべてすべて投げ出し駈けつける
夏から秋への能登半島
あなたあなたたずねて行く旅は
夏から秋への能登半島

「能登半島」より

「ここにいる」とハガキをもらった若い女はとっさに旅の荷物をまとめて能登に向かう様子が映りますね。

「一夜だけの旅」とありますので、おそらく追いかけていったとしても結ばれない運命にあるとわかっていたのでしょう。

19歳の恋愛慣れしていない女性の短い旅を歌ったのだろうと考えられます。

寝台列車は令和の時代にはもうないですし、当時の時代の風物詩となってしまったような情景が懐かしいです。

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石川さゆり「能登半島」で観光客が増えた!

能登金剛

阿久悠さんの勘違いで石川さゆりさんのために生まれた「能登半島」ですが、この曲のおかげで能登半島への観光客が増えたそうです。

さらに2024年の大晦日に歌われる石川さゆりさんの紅白曲は「能登半島」だそうで、これは2003年ぶりとなります。

ここ数年は「津軽海峡冬景色」か「天城越え」を交互に歌ってきましたのが、能登半島地震の方に届けたいと石川さゆりさんはコメントしていました。

石川さゆりのプロフィール

1958年1月30日熊本県生まれの石川さゆりさんは2024年で66歳になります。

本名は石川絹代(きぬよ)といい、小学6年生で神奈川県横浜市に引っ越しています。

中学3年生のころ、友達がフジテレビ系列「ちびっ子歌謡大会」に参加できなくなり、代わりに出場したところ評価され、ホリプロにスカウトされています。

1972年フジテレビドラマ「光る海」に出演し、森昌子・山口百恵と3人で「ホリプロ三人娘」としてアイドル活動をしていたようです。

しかしアイドルとしては花開かず、ひたすら歌の練習をしていたところ、1977年「津軽海峡冬景色」で大ヒットし演歌歌手として活動することになります。

これからの活躍も楽しみですね。

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