福田和子の息子は犯人隠避罪確実だったのに逮捕されずに無罪で済んだ理由に驚愕!現在は愛媛県内に勤務との噂を調査!

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殺人罪で15年もの間逃亡生活を続けた福田和子の息子は一緒に暮らした時期もありました。

逃亡中の最中にも息子に会いに来たようですが、なぜ息子は逮捕されず無罪なのでしょうか。

そこで福田和子の息子が無罪で逮捕されない理由や現在の様子について調べましたのでご紹介します。

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目次

福田和子が逃亡中の息子の行動は

福田和子には最初の夫との間に2人、再婚した夫との間に2人と合わせて4人の子供がいました。

その中でも最初の夫との間にできた長男をとてもかわいがり、逃亡中もこの長男に電話をかけたり会いに行ったりしていたそうです。

福田和子と息子の行動についてまとめると

  • 福田から息子に電話していた
  • 内縁の夫の家に息子を親戚と偽り住ませた
  • 息子と息子の彼女と3人で食事していた
  • 息子が結婚するとお食い初めの着物を贈った

このようにかなり派手に息子と連絡を取っていたことがわかります。

福田和子の息子は1年間一緒に住んでいたことも!

1985年ごろ、老舗和菓子店「松村松栄堂」の店主に見初められた福田は内縁の妻として暮らすようになると、長男を呼び寄せ親戚の子として住み込みで働かせます。

和菓子屋のイメージ

店主は福田と一緒になるためにわざわざ妻子と離婚までして同棲から3年が経っていました。

福田は店主からの結婚の提案を渋っていたため店主や親戚は「訳ありな女なのでは?」と疑うようになります。

ある日店主の姉が福田の長男の免許証を盗み見ると、福田の出身である愛媛の住所がバレてしまい通報されました。

警察が向かっていると、福田はちょうど近所の葬式を手伝っていて間一髪で自転車に乗って逃走します。

残された長男は母が消えたら愛媛に帰るようにと言われていたため、長男もすぐに愛媛に帰っています。

福田和子の息子が逮捕されないことに疑問の声

福田和子の息子は無罪で逮捕されなかった理由は?

指名手配されていた福田和子の息子は和菓子屋の店主には母が福田和子であることを明かさずまた自身も親戚の子と偽っていました

なぜ逮捕されず無罪なのでしょうか。

刑法第103条では「罰金以上の刑に当たる罪を犯した者または拘禁中に逃走した者を蔵匿し、又は隠避させた者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する」と規定しています。

犯人の家族が犯人蔵匿罪・犯人隠避罪に該当する行為をした場合は、刑法第105条の規定に従い、刑罰が免除されることがあります。

家族であれば逃走を手助けする心情もやむを得ないため、処罰の対象としない特例が認められているそうです。

当時の警察が四六時中長男の行動を張り込んだりした情報はありませんでした。

長男に張り込んで福田からの連絡を待っていれば逮捕の時間が短縮されたのではないでしょうか。

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福田和子の息子の2024年現在は

福田和子の息子をグーグルで検索すると、「水野鉄工所」などと予測が出てきます。

しかし福田和子の息子の職場について確かな情報はありません。

Xで大州市内に勤務されていた情報がありました(こちらも確証はありません)。

福田が2005年に57歳で脳梗塞により亡くなったとき、息子は37歳だったという情報がありました。

もしこれが本当なら、2024年現在、福田の息子は56歳くらいと考えられます。

福田和子の息子が通報しなかった理由は

1982年、福田和子が愛媛県大州市の家からタクシーで逃走し、夫が死体遺棄罪で逮捕されると、息子は福田の母の家に預けられています。

息子は祖母から「テレビを見てはいけない」と言われていましたが、ある日こっそりテレビをつけて自分の母が指名手配されていることに気が付いたんだそうです。

テレビに映る母を見て、弟や妹のためにも自分がしっかりしゃなきゃと思ったそうです。

そんな息子に福田は、息子が結婚し娘が生まれたときけばお食い初めの着物など送ってくれたといいます。

1997年7月に福田が福井市内で捕まると、息子は何度も面会に行ったんだとか。

2005年3月に福田が脳梗塞で亡くなる直前も長男は面会に行き、

ママ、ありがとう

と話し、その後福田は静かに息を引き取っています。

息子は逃走し家庭を置き去りにした母を恨んでおらず、大好きで尊敬していると亡くなったあとのインタビューに答えています。

福田の息子は母が好きなあまり通報など到底する気持ちは起こらなかったのではないかと考えられます。

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福田和子はなぜ逮捕されるのを嫌がったのか

福田和子は17歳のころ、同棲していた男性と強盗に入り松山刑務所に服役していたことがあります。

当時の松山刑務所は郷田会の関係者が看守を買収し、女性受刑者を強姦する松山刑務所事件が起きており、福田も被害者になっていました。

さらに移管された高松刑務所でも強姦被害にあっており、刑務所でのトラウマも強く、絶対に捕まりたくないとの思いがあったとか。

それなら最初から自身の起こしたホステス殺害などするなという話ですが、せめて息子のためにも早く服役していたなら、もしかしたら早く出所できたかもしれません。

殺人罪で一人殺した場合の刑期の平均は7年といわれているようですが(ネクスパート法律事務所より)福田は無期懲役となっています。

15年近く逃げ回ることなく服役していたならとも思いますが、被害者は家族に会うこともできず亡くなっています。

殺人が許されることではありません。

まとめ

福田和子の息子は母の名前など隠蔽したにも関わらずなぜ逮捕されなかったのかについてご紹介しました。

息子は刑法第105条の規定に従い、家族の場合逃走を手助けする心情もやむを得ないため、処罰の対象としない特例で無罪とのことでした。

福田和子の15年にわたる逃走経路を調べた記事はこちらから読むことができます。

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