丸山弁護士には娘さんがおり、ご家族で埼玉県の三郷市に住んでいるようです。
そこで丸山弁護士の家族構成や生い立ちについてお調べしましたのでご紹介します。
丸山弁護士の家族構成は妻&娘で3人!
丸山和也弁護士は結婚して妻と娘がおり、家族3人で埼玉県三郷市に住んでいます(娘は2024年現在も住んでいるかは不明です)。
丸山さんの奥さんの情報はSNSなど調べましたが一切出てきておらず、一般人なので公開していないようです。
地元では丸山さんが三郷に住んでいることは有名で、丸山さんと娘さんが並んでマラソンする姿もよく見かけていた住民もいました。
地元の三郷にて皆様と。 pic.twitter.com/lFVnSwvchT
— 弁護士丸山和也 持ち歌 浪漫さらば昨日よ(カラオケ)アクティブシニア100才挑戦マラソン丸山和也 (@maruyamakun) July 6, 2019
兵庫県出身の丸山さんですが、三郷に住んで40年以上だそうで、もはや三郷の顔になりつつあるのではないでしょうか。
丸山弁護士の娘の鳴(めい)がかわいい!
丸山弁護士の娘の鳴(めい)さんはテレビで親子共演していたことがありました。
かわいい娘さんとの共演時の様子やエピソードについて3つご紹介します。
1.娘が24時間テレビで共演していた!
丸山弁護士は2005年に日本テレビの24時間マラソンで100キロ走っていますが、ラスト700mで娘の鳴(めい)さんも並走したことがありました。
当時は娘さんがテレビに出演しラストを並走してくれることを丸山弁護士も知らされていなかったようで、娘が一緒に走ってくれて嬉しかったんだそう。
このとき59歳だった丸山さんは当時歴代最高齢だったそうで、周囲のスタッフから「やっぱり年だし無理ですよね」と言われて反発して引き受けてしまったんだとか。
100キロ走った後は足が象の足のようにふくれて元に戻るのに半年かかったといいます。
2.娘は三郷の財団奨学生だった
丸山弁護士の娘の鳴さんは、三郷市の財団奨学生として、2010年〜2011年の1年間オーストラリアに留学したと三郷市週報に掲載されたことがありました。
財団奨学生なんて優秀な成績でないとなれないですよね・・さすが国際弁護士の娘です。
オーストラリアのメルボルンでは水不足が深刻なため、1日の使える水の量に制限があり、シャワーは1日3分しか使えなかったといいます。
そのため日本で制限なく水が使えることのありがたみがわかったと話されていました。
3.国連大学の職員として勤務していた!
さらに驚くべきことに、鳴さんは2015年から国連大学の職員として、地球環境パートナーシッププラザ業務をしていることがわかりました。
国連大学によると、鳴さんはオーストラリアのメルボルン大学で国際関係学の修士号を取得後、国連アジア太平洋地域地理空間情報管理地域委員会で働いたのち、国連大学に入職していました。
親子揃って優秀な様子がわかりますね。
丸山弁護士の両親や兄弟について
丸山さんは兵庫県たつの市で生まれ、父・母・姉2人・に丸山さんと妹の6人家族で育っています。
丸山さんの両親や兄弟の素敵なエピソードをご紹介します。
1.両親について
父親は小学校の校長をしていたため、真面目で誠実だったそうですが、勉強に関しては「宿題しろ」しか言われたことがないそうです。
しかし丸山さんが24時間マラソンを走るとテレビで報道されると、
年を考え無茶なことはするな、今からでも遅くないからやめておけ
と諭す手紙を送ってきたんだとか。
母親は幼い頃に父親を亡くし、また姉2人を結核で亡くしているため苦労してきたそうですが、全く苦労を見せない優しい人だと答えています。
丸山さんがロサンゼルスの法律事務所に就職し、ある日家族に会おうと一時帰国すると働きすぎたのか、3ヶ月入院することになってしまいます。
丸山さんが治ると同時に母親が脳膜下出血で倒れ、その1週間後に亡くなってしまったんだそうです。
そのときの詳しい話の動画がありました。
丸山さんは帰国して入院している間に少しだけどお母さんと一緒に過ごすことができてよかったと話していました。
2.兄弟について
丸山弁護士のお姉さん2人はなんと学校の先生だったそうで、親戚じゅうが教員だったとも話しています。
また妹がいましたが、1988年に40歳で病気で亡くなっているそうです。
丸山さんは妹さんを大事に思っており、最後は苦しそうに亡くなったことが辛いと話していました。
丸山さんの家族は両親兄弟とも強い絆で結ばれた素敵な家族ですね。
丸山弁護士の生い立ちについて
1946年1月23日生まれの丸山さんは2024年で78歳になります。
丸山さんの学生時代や弁護士になり政治家になるまでの生い立ちについてご紹介します。
1.学生時代について
親戚は教員の多い家系でしたが、幼少期は宗教家に憧れがあり弁護士は考えていなかったといいます。
宗教家に興味があったせいか、趣味は座禅と滝行だそうです。
勉強はできたようで新聞奨学生に2年間なったこともありました。
18歳になると東京に憧れて東京の大学を受験することに決めます。
父親には反対されましたが、母親が擁護してくれて早稲田大学法学部に合格しています。
法学部にした理由は文系の学部の中で一番潰しが効くと思ったからで、やはり弁護士は考えていなかったそう。
寮で一緒だった人が弁護士試験の勉強をし始めると、気になって夜寝れなくなってしまい、とりあえず受けてみようと勉強することにしました。
2.弁護士になるも職務質問された過去
1970年に3回目で合格した丸山さんは晴れて弁護士となって法律事務所に就職するも、先輩の姿を見て将来がつまらなくなり、海外に行きたいと考えるように。
すると1975年にはワシントン大学ロースクールに入学し、2年間学んで卒業後はロサンゼルスの法律事務所へ3年間勤務しています。
帰国後は独立し丸山国際法律特許事務所を設立し、ある日汚い格好で歩いていると警察に職務質問を受けたようです。
なんでも汚い服かつ無精髭で歩いてたら警察に職質されて、職業はと聞かれたので「弁護士」と答えると
そんな弁護士いるか!
と言われたんだそうです。
それを友人に話すと、「ある番組で弁護士らしくない人を探している」と言われ面接に行くと、「行列のできる法律事務所」に出演することに。
当時の番組は弁護士らしい弁護士と女性弁護士に弁護士らしくない弁護士3~4人の考案があり、見事に丸山弁護士がスタッフの中でヒットしたんだとか。
3.政治家へ転身
丸山さんは2007年7月の参議院選挙に自由民主党公認で出馬し、見事に当選し政治家に転身しています。
そこから2期12年間にわたって政治家として活動をしてきました。
しかし2019年5月に日本維新の会の丸山穂高議員が北方領土に絡んだ問題発言をした際、丸山違いでクレームを受けるようになると、風評被害を受けています。
三郷駅ではありがとうございました。次は隣の新三郷駅にて行います。(丸山和也事務所) pic.twitter.com/fEWMKdBJVq
— 弁護士丸山和也 持ち歌 浪漫さらば昨日よ(カラオケ)アクティブシニア100才挑戦マラソン丸山和也 (@maruyamakun) July 6, 2019
そのあおりで2019年7月の参議院選挙に出馬するも落選し、丸山さんは政界から身を引いています。
2024年現在は弁護士として活動し、ときどきテレビに出演しているようです。
これからもテレビに出演してほしいですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
丸山さんが行列番組に出なくなった理由については下記記事で詳しくまとめています。
丸山さんの現在についてはこちらの記事でまとめています。
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