国民的タレントの黒柳徹子さんは独身を貫いてきたことでも有名ですが、40年の遠距離恋愛をしていた時期がありました。
なんとフランス人のピアニストと30代のときに出会い、結婚を決めかけていたそうです。
しかしなぜ黒柳徹子さんはピアニストと結婚しなかったのか、馴れ初めから破局理由まで調べましたのでご紹介します。
黒柳徹子が結婚を考えたピアニストとは?
黒柳徹子さんが40年も交際をしていたピアニストはブルガリア生まれのユダヤ系フランス人のアレクシス・ワイセンベルクさんです。
1929年ブルガリア生まれのワイセンベルクさんは、12歳の時第二次世界大戦でトルコに亡命しようとしますが、ナチスに捕まってしまいます。
収容所で持ってきたアコーディオンでシューベルトを弾いていたところ、守衛が感動し逃がしてくれました。
その後アメリカのジュリアード学院で学び、卒業した時には世界中で招かれるほどピアニストとして開花しています。
黒柳徹子とワイセンベルクの馴れ初めは?
1971年、黒柳徹子さんは38歳で1年間ニューヨークへ留学しています。
このとき42歳のワイセンベルクさんと出会い、すぐに恋仲になったようです。
世界中で活躍するワイセンベルクさんとは手紙やFAXでのやり取りをして遠距離恋愛を続けてきました。
1982年には「徹子の部屋」にワイセンベルクさんが出演しピアノを披露したこともありました。
さすが徹子さん、彼氏を自分の番組に呼んでいたとは・・(笑)。
当時の映像はありませんが、ワイセンベルクさんのピアノ動画ならあります(上記)。
フランス国籍を取得していたワイセンベルクさんに
一緒にパリに来ないか
と言われていたそうですが、仕事を辞めることが出来ずに断っていたようです。
黒柳徹子はワイセンベルクとなぜ結婚しなかった?
黒柳徹子さんはワイセンベルクさんと「結婚を決めかけていた」と2018年の笑福亭鶴瓶さんのテレビ番組「チマタの噺」で話しています。
ワイセンベルクさんは生涯独身でしたが、3人の子供がいました。
息子のデビッドと娘のクリスティーナにマリアという子供の情報はありますが、結婚の情報はありません。
黒柳徹子さんと出会ったときすでに42歳のワイセンベルクさんなら一度くらい結婚していそうですが・・
既に離婚していたか、フランスあるあるで未婚のまま子供だけ授かった可能性が高そうです。
そんなワイセンベルクさんは、52歳ごろから30年間も脳腫瘍によるパーキンソン病に悩まされておりました。
徹子さんが40年間もワイセンベルクさんと遠距離恋愛をしていたのに結婚しなかった理由は、
・仕事が忙しくて彼とゆっくり過ごせない
・日本とヨーロッパとの行き来が難しい
ことが考えられます。
海外で暮らし、晩年はパーキンソン病という難病も持っている方と一緒になるのはそう簡単ではないでしょう。
黒柳徹子とワイセンベルクの破局理由は
ワイセンベルクさんはパーキンソン病という長年の闘病生活のさなか、2012年1月に82歳でスイスで亡くなっています。
これにより徹子さんは40年に及ぶ遠距離恋愛を彼の死により終えたと話しています(笑福亭鶴瓶のテレビ番組「チマタの噺」による)。
ワイセンベルクさんの死去は2012年7月の「徹子の部屋」でも追悼特集で取り上げられました。
それにしても徹子さんは若い時美人で、相当モテたようです。
フランスのイケメン俳優として知られるアラン・ドロンさんには本気で口説かれたことがあるそうですが、
タイプじゃない
ときっぱり振ってしまったとか。
黒柳徹子プロフィール
1933年8月9日東京生まれ、2023年で90歳になる黒柳徹子さん。
父は現NHK交響楽団のヴァイオリニスト・黒柳守綱さんで母はエッセイストだったようです。
音楽家の裕福な家庭に生まれ育ちますが学習障害と注意欠陥多動性障害(ADHD)により落ち着きがないとされ、尋常小学校を退学させられています。
トモエ学園に転校したのち東京音楽大学に進学後は日本放送協会に入局しています。
1976年に「徹子の部屋」がスタートし2023年現在も番組を続けながら、1984年からは国連傘下のユニセフで親善大使もやるなど精力的に活動しています。
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