麻原彰晃(松本智津夫)によって創設されたオウム真理教の信者は、配偶者や恋人以外の性行為が禁止されていたようです。
しかし麻原は戒律を超越する最終解脱者なので、若い女性を高次元に導くために性修行として性行為をしていました。
麻原はダーキニーと呼ばれる愛人が100人以上いたとされ、選ばれるには条件がありました。
そこでダーキニーになる条件や性修行の内容についてお調べしましたのでご紹介します。
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オウム真理教の性修行の内容がひどい!
オウム真理教の創設者・麻原彰晃(本名:松本智津夫)は徳川家光の生まれ変わりとされ、大奥制度を復活させ選ばれた女性たちに性修行を施しました。
麻原はダーキニーには派手なランジェリーを着させ、ダーキニーの陰毛を切っては集めていたそうです。
そして麻原の体液を飲ませ、時には何人かのダーキニー同士で口移しさせていたこともあったとか。
ダーキニーは電話で呼び出され、大浴場や大広間で毎日違うダーキニーと性行為していたそうです。
麻原の1番のお気に入りダーキニーは石井久子と言われ、双子を含む4人の子供を産んでいます(1人死産)。
石井久子は1960年9月26日横浜生まれの2023年で63歳になりますが、入信したのは24歳で美人ですね・・
ダーキニーに選ばれる条件とは?
ダーキニーになるには、主に以下の条件がありました。
・25歳以下
・処女
・色白で黒髪のロングヘア
・顔がきれい
オウム真理教は入信の時点で顔写真をとることになっていました。
これは教団幹部に送られ、麻原好みの女性が選ばれると、さらに写真撮影がされて麻原と面接し、気に入られると晴れてダーキニーとなりました。
ダーキニーになると運転手付きの車で移動でき、信者のダサい服ではなく着たいと思った服を買ってもらうことができました。
さらに麻原と一緒に豪華な朝食をとることや、麻原の出身である熊本から送られてきたメロンのお下げ渡しを食べる(食べかけをもらう)権利をあたえられたそうです。
正式なダーキニーは33人ほどいたそうですが、麻原彰晃の四女・松本聡香さんは非正式なダーキニーも100人くらいいたと証言しています。
ダーキニーになりたくない女性は皆ロングヘアをやめ短くしたんだそう。
麻原彰晃(松本智津夫)の生い立ちとは?
1955年3月2日、麻原彰晃こと松本智津夫は熊本で「松本畳店」を経営する家庭の9人兄弟の7番目に生まれています。
左目は先天性緑内障でほとんど見えませんでしたが、右目は1.0あったようです。
長男は全盲で五男も弱視だったようで、自分は右目は見えたのに学費も寄宿舎代も不要な盲学校に入れられ、両親に捨てられたと思ったとか。
家庭は非常に貧しかったそうなので、お金のかからない学校だから行かされたのかもしれません。
鍼灸免許を取得し、20歳になった松本は東大受験のため上京し、代々木ゼミナールに入ります。
東大は3回受験するも不合格で、その後代ゼミで出会った知子とデキ婚し「松本鍼灸院」を開院します。
麻原彰晃(松本智津夫)がオウム真理教を創設するまで
松本の鍼灸の腕は確かだったそうですが、1980年7月保険料の不正請求が発覚し670万円の返還を求められています。
1980年8月、新興宗教の阿含宗に入信し1981年には健康薬品販売店を開店しますが無許可の医薬品を販売し逮捕され20万円の罰金刑を受けることに。
逮捕されたあたりから松本は対人恐怖症や強迫神経症がひどくなり、宗教にのめり込んだといいます(松本知子のインタビューより)。
1983年、身体を清浄なものとする阿含宗が本来の阿含経とかけはなれていると感じ脱会し、28歳で仙道やヨガを取り入れた超能力開発の学習塾を創設します。
1987年には税制面の優遇から学習塾をオウム真理教に変え、日テレ番組「鶴ちゃんのプッツン5」に超能力者として出演し、信者を獲得していったそうです。
2018年7月6日、松本は死刑が執行され63歳で亡くなっています。
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