2005年4月25日に起きた福知山線脱線事故の電車は7両編成の快速電車でした。
事故後の車両を確認すると、7両あるはずですが6両しか写っていないように見え、また一番死者が多く出たのは2両目でした。
そこで福知山線脱線事故で一両足りないのはどこにあるのかや2両目の死者数が多い理由について調べましたのでご紹介します。
【福知山線脱線事故】一両足りないのはどこにある?
2005年4月25日午前9時18分ごろ、事故は兵庫県尼崎市のJR福知山線塚口〜尼崎間で起きました。
マンションの前で横転しているのは2両目で、その隣に3両目と4両目が並び5両目まで脱線、6、7両車は脱線しませんでした。
写真では一両足りないように見えますが1両目はどこにあるのでしょうか。
なんと1両目はマンションの駐車場に入ってしまっていました。
マンションの住人に死者はいなかったようですが、電車が突っ込んできた衝撃でマンション全体が揺れ、外は砂煙が白く上がり鉄の焼ける匂いがしたと当時の住人が答えています。
2両目の死者数が多い理由は?
現場はR300(半径300メートルの曲線)と呼ばれる鉄道列車の中では最もきついカーブでした。
制限速度は時速70キロのところを約116キロというスピードを出していたため曲がりきれず脱線してしまったようです。
これはビルの15階から飛び降りるのと近い衝撃となります。
死者数は1両目が42人、2両目が57人、3両目は3人、車両不明の4人です(4両目以降死者なし、負傷者全体で562人)。
2両目の死者数が多いのは車両全体がマンションに叩きつけられた衝撃が大きいからと考えられます。
2両目で生き残った人によると、車内は凄まじい様子が伝わってきます。
僕の周りの方はほとんどが即死状態の方が多く、顔が半分に裂けている人や目玉が片方飛び出して潰れている人、頭の皮がめくれ上がっている人などがいました。
https://ameblo.jp/office-cozy/entry-12014318497.htmlより
瓦礫と化した車体や裂けた車内の壁面、吊り革のポール、クーラーのファン、アルミのフレームなどが凶器になって人に突き刺さり、外れた座席などが複雑に絡み合った状態で、人が何十人も山のように積み上がっていました。
僕の隣には、両足を人の山の上の方に挟まれてぶら下がっている人がいましたが、両腕から地面に血が滴り落ちている状態で、すでに亡くなっているというのがすぐに分かりました。
とても悲惨な車内の様子であったことがわかります。
電車が遅延していてもこれを考えると目的地まで安全に到着することを考えたいですね。
福知山線脱線事故の原因は?
事故車両を運転していたのは高見隆二郎さんという方で、当時23歳でした(顔画像は非公開のようです)。
当時JR西日本では、到着遅れやオーバーランをした運転手に対して「日勤教育」という研修を課していました。
日勤教育について高見さんは「罵声を浴びせられる」「トイレに行くにも断らなければならない」「延々と就業規則を模写させられる」と知人にこぼしていたようです。
事件当日の日は車内混雑で遅延が発生していました。
到着遅れによる日勤教育を心配しスピードの出し過ぎにも気づかずブレーキをかけたのが遅くなったのが原因ではないかと考えられています。
なお事故発見当時、高見さんはブレーキを握りしめたまま遺体で発見されています(死因は腹部圧迫)。
衝突したマンションはどうなった?
福知山線脱線事故で電車が衝突したマンションは電車を引き抜くため安全を考慮し、住人は皆退去しています。
その後マンションはJR西日本が買い取り、悲惨な事故を忘れないようにと「祈りの杜(もり)」として慰霊施設になりました。
事故現場をどうするかについて賛否両論あり、「祈りの杜(もり)」が設立した時も「悲惨さが伝わらない」などと意見があったようです。
これ以上同じ事故を起こさないよう教訓にし忘れないようにしていただきたいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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