【画像】坂井泉水はレーシングクイーンをなぜしていた?美貌がすごい!

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坂井泉水
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音楽グループ「ZARD」のボーカル・坂井泉水さんは若い頃レースクイーンをしていたようです。

坂井泉水さんはあがり症だったためテレビにはほとんど出演しませんでしたが、なぜレースクイーンをやっていたのでしょうか。

そこで坂井泉水さんの美貌がわかるレースクイーン時代の画像と共になぜやっていたのかをお調べしましたのでご紹介します。

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坂井泉水の美貌がわかるレースクイーン画像!

22歳ごろ

1967年2月6日神奈川県生まれの坂井泉水さんは、本名は蒲池幸子(かまち さちこ)さんです。

松蔭女子短大(現在は松蔭大学)を卒業後、第一不動産で2年間OLをした後、スターダストプロモーションに所属しモデルをしていました。

当時23歳

1990年になると日清カップヌードルレーシングチーム(2輪)のレースクイーンを始めるようになります。

すごい角度のハイレグを着こなしていた坂井さんに驚きです。

坂井泉水のナチュラルメイクは昔からだったんですね。

この格好で一日中立っているレースクイーンはすごいです。

岡本夏生と坂井泉水

岡本夏生さんとはレーシングチームのレーシングクイーンの同期だそうです。

なんだか退屈そうな顔して写っている坂井さん、それでも美貌があってかわいいですね。

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坂井泉水はレーシングクイーンをなぜしていた?

1990年、坂井泉水さんはレースクイーンの傍ら音楽番組のオーディションを受けていました。

坂井さんはずっと歌手になりたいと考えていたようです。

なぜレースクイーンをしていたのでしょうか。

坂井さんがレースクイーンをしていたことは暗黒の時代ということで本人に触れてはならないことになっているようです。

なので坂井さんがなぜレースクイーンをやっていたのかについては一切話していません。

あくまで予想になりますが当時のレースクイーン界は給料がかなり高額だったそうで、レースクイーンだけで食べていけるくらいだったとか。

テレビ番組のカラオケ大会に呼ばれたりしていたようですが、それ以外では音楽活動もできずに大した給料をもらえず、日清のオファーやってみようという感じでしょうか。

ZARD結成しついに歌手デビュー!

1990年8月に事務所の社長から音楽プロデューサーの長戸大幸さんを紹介されると、才能を認められ「ZARD」を結成することが決まります。

1991年2月にシングル「Good-bye My Loneliness」でデビューし、1993年1月にリリースされた「負けないで」はミリオンヒットを記録しています。

しかし「負けないで」をテレビ朝日「ミュージックステーション」で披露した後、これ以降ZARDはテレビ出演をしていません

理由として坂井さんが極度のあがり症でテレビに出演をさけるようになったようです。

坂井泉水さんといえばデニムを着ている印象がありますが、特にリーバイス501のビンテージが好きだったそう。

ハイレグを着てもジーンズを着てもスタイル抜群であることがわかります。

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子宮頚がん発症からその後・・

坂井泉水さんは2000年以降、33歳を過ぎたあたりから子宮筋腫や卵巣のう腫に子宮内膜症に次々とかかり、2006年4月に子宮頚がんを発症しています。

その2ヶ月後の6月には卵巣摘出手術をしていますが、2007年4月に肺に転移していたことがわかり、抗がん剤治療をしていたそうです。

2007年5月26日、慶應大学附属病院の階段から落下し後頭部を強打し脳挫傷が原因で亡くなっています。

自殺とも言われましたが音楽関係者は「遺書もなかったし、病室が整理された様子もまったくない

病室では詞を書き留めたり、秋ごろをめどに、ツアーやアルバム製作を予定するなど、復帰にはとても意欲的でした」と話しており、真相は分かっていません。

まとめ

以上坂井泉水さんのレースクイーン画像や理由などご紹介しました。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

        

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