真田ナオキの実家はさいたま市南区!中学は大谷場で生い立ちが壮絶!

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真田ナオキ
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演歌歌手の真田ナオキさんは笑顔の素敵なイケメンですよね。

そんな真田ナオキさんの実家はさいたま市南区だそうです。

そこで真田ナオキさんの実家や中学校、生い立ちについてお調べしましたのでご紹介します。

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目次

Contents

真田ナオキの実家はさいたま市南区!

父・桂竜士が経営するカラオケラウンジ

真田ナオキさんは1989年12月22日埼玉県さいたま市生まれ、2023年で34歳になります。

本名は松谷大介さんで、父で演歌歌手でもある桂竜士さんはさいたま市南区にあるカラオケラウンジ愛歌を経営しています。

南浦和駅からカラオケラウンジまで徒歩4分と近いです。

アパートの一室で経営しているようで、真田ナオキさんの実家もここから近いと思われます。

真田さんの父である桂竜士さん(本名は松谷東秀)も演歌歌手で、息子に歌手になれと小さい時から言っていたそうです。

しかし真田さんはお父さんの勧めで歌手になったわけではありません。

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真田ナオキの中学は大谷場で生い立ちが壮絶!

さいたま市立大谷場中学校

真田ナオキさんの実家はさいたま市南区なので、さいたま市の学区一覧では大谷場中学校となっていました。

大谷場中学校は俳優の反町隆史さんも出身です。

真田さんは小学校1年から野球をやっていたそうですが、小学校5年生の時に靭帯を切り、中学校まででやめたそうです。

真田さんのおじいちゃんと叔父は「スペクター」という暴走族をやっていたことがあり、すでに途絶えていたのですが同級生ともう一度立ち上げています。

中学卒業後は学校に行かず、暴走族の総長をして、20人くらいを率いて警察や病院の世話にはならない健全なヤンキー(面倒見いい)をしていたとか。

中学の後輩と出来ちゃった結婚

真田さんはその後17歳あたりで建設現場で働き始め、姉一つ上のお姉さんがいるのですが、甥っ子が生まれると暴走族をやめます。

19歳の頃、中学校の後輩と再会し交際を始めると、できちゃった婚をしています。

結婚後に水道工事業者やセールスマンの仕事を転々としていましたが、2011年の東日本大地震が起き被災地応援で民謡を歌う少女に心打たれ、自分も歌手になろうと決意。

歌手になるためにカラオケ喫茶に転職すると収入が激減し、当時子供は3人いたそうですが2015年に妻から別れを切り出され離婚しています。

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離婚後に子供が5人に!

真田さんは離婚後も子供に会うために元妻とよく会っていて、まだ妻への気持ちがあり流されてしまったといいます。

驚くことに離婚後も元妻との間に2人子供をもうけたそうです。

しかし元妻と再婚はしていません。

この事実が2023年3月発売の女性セブンに掲載されると、世間からは心ない言葉も言われたといいます。

吉幾三に弟子入りしてから

実は真田さんは2016年のある食事会で歌手の吉幾三さんと出会い、酔っ払った幾三さんの前で歌ったところ

お前、面白い声してるな、弟子になれ

と言われ、そのまま弟子入りしています。

その面白い声というのがこちらです。

歌手になるために民謡教室に通うも「細い声で歌手に向いてない」と言われますがそこから太い底のある声を出すべく努力を始めます。

演歌歌手の村田英雄さんが海で潮風に向かって叫んだと聞くと、自分も海で叫び、強い酒でうがいが良いと聞くとうがいして喉を潰したようです。

また毎日カラオケ喫茶で6時間以上練習していたとか。

普段の声はかわいらしいので、このギャップに惹かれるファンも多いです。

2020年の日本レコード大賞では、吉幾三さんが作曲した「恵比寿」が最優秀新人賞を受賞と実力も認められています。

これからが楽しみですね。

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