日本で初めてセクハラ裁判と戦い、会社や世間からのバッシングに耐えて全面勝訴した晴野まゆみさん。
晴野さんは結婚して旦那さんやお子さんはいるのでしょうか。
そこで晴野さんは結婚して旦那や子供がいるのか、壮絶なセクハラ裁判までの道のりについても調べましたのでご紹介します。
晴野まゆみは結婚して旦那や子供はいる?
晴野まゆみさんはfacebookをされており、2018年の投稿で旦那さんを「井上陽水に見えなくもない」と紹介されていました。
たしかに井上陽水に似ているような。
こちらの写真は鼻の形や眉毛などからサングラスをとった旦那さんの顔ではないかと考えられます。
サングラスをとると優しそうな旦那さんに見えますね。
結婚したのはいつ頃か公言はしていませんが、バブル景気はとっくに弾けていたとfacebookで話されているので、1991年以降(34歳以降)と考えられます。
結婚式でも仕事仲間(野郎共とのこと)に「1週間で旦那が逃げて離婚」「いや3ヶ月はもつ」「半年」と揶揄されていたそうです。
まだまだ夫婦として続いており予想は外れたようですね。
晴野まゆみに子供がいない理由は?
晴野さんは編集プロダクションで働いていた頃に卵巣のう腫を発症したことがあったと話されています。
卵巣のう腫は子宮内膜症の一つで、不妊の原因となるリスクもあることから、体質的に子供ができなかった可能性もあります。
晴野さん本人が公言しているわけではありませんが、facebookにも写真はなく、子供はいない可能性が高いです。
晴野まゆみが受けたセクハラがひどい
1986年、晴野さんは福岡県の出版社に入社し希望していた取材や編集の仕事を始めます。
晴野さんの上司は家庭を大事にして定時で帰る人で、印刷入稿の締切が近くなっても帰る人でした。
そのため上司の業務も晴野さんが終バスの時間ギリギリまで連日処理していたそうです。
上司の三分の一の給料でかなりの業務量をこなしていた晴野さんを、本社から出向してきた係長が
これはちょっとアンバランスだろう
と、現場の上長に相談し給料を2万円アップしてくれたことがありました。
すると上司が「係長と晴野はデキている」と周りに吹聴するようになりました。
理不尽な即日解雇へ
晴野さんと給料をアップしてくれた係長との噂話はどんどんエスカレートし、ついには係長との関係もギクシャクしてしまったそうです。
しかし今度は別の専務が現場にやってきて
(晴野さんの)給料が低すぎる
と話してきたとか。
晴野さんの給料を上げるには上司の給料を削らなければならないということになり、上司は焦って専務に常に何かを報告するようになります。
上司はさらに周りに「晴野はルーズな異性関係を持っている」と言いふらし、晴野さんが女性特有の病気(卵巣のう腫)で入院することになると
あいつは異性関係が派手
と周りに言いふらされ、ノイローゼになった晴野さんは勇気を出して社長に相談すると「明日から来なくていい」と告げられてしまいました。
「男をたてろ」と言われたことも
女性としてどんなに傷ついているということを伝えても、会社のトップは「そんなくだらないことを直訴して、非常識なやつ」という評価をされてしまったようです。
上司は3日間の謹慎で済んでいるのに、被害にあった自分は即解雇で明日からの収入は途絶えてしまった。
専務に最後に言われたのは
君は確かに仕事は有能だ、よくできる、よく頑張る。
だけど男をたてるということを知らない。
だから次の職場に行ったらもっと男をたてることを学べ
だったそうです。
こんなの納得できないと晴野さんは労基に相談しますが、自己都合での退職となってしまったため、不当解雇で申し立てはできず、民事調停をしようと考えました。
壮絶なセクハラ裁判内容
しかし晴野さんは民事調停の調停委員にも「それだけ男女の目を惹けるなんてうらやましいことですよ」などと相手にされず、不成立となりました。
途方に暮れていると、1989年1月に「女性の女性による女性のための法律事務所」ができたことを知ります。
晴野さんはここでダメなら諦めようと事務所のドアを叩き、辻元弁護士と1989年8月にセクハラをした上司と当時の会社を相手どり民事訴訟を起こします。
この訴訟がマスコミの目に止まり晴野さんは「原告A子」として世間から注目を浴びるようになり、全国から支援者が傍聴するようになっていったとか。
支援者からは「あなた一人の裁判ではない」と言われ、プレッシャーがすごかったといいます。
1992年、福岡地裁は元上司の行為を不法行為とし165万円の慰謝料を命じました。
晴野さんは
裁判を起こせば、被害の事実関係を明らかにさせ、金銭的な補償は期待できます。でも、結局傷ついた心そのものはお金では解決できないと気づきました。
裁判にはエネルギーがいりました弁護士.comより
この裁判は壮絶なエネルギーを必要とする大変なライフイベントだったのではないかと考えられます。
晴野まゆみのプロフィール
晴野まゆみさんは1957年東京生まれ、1971年に福岡に引っ越します。
福岡でお嬢様学校として有名な福岡雙葉学園を卒業されており、祖父は弁護士だったそうで、実家はお金持ちの可能性が高いです。
1980年に西南学院大学文学部卒業後、ブライダルコーディネーターをしていましたが、ライターに憧れ1986年に福岡の出版社に入社するも2年後に解雇されました。
1988年からフリーライターとして独立し、2001年には「さらば、原告A子 : 福岡セクシュアル・ハラスメント裁判手記」を出版しています。
2022年1月にはNHKの番組「逆転人生」で晴野さんのセクハラ裁判の内容が取り上げられました。
美人で有能な晴野さんでしたが男性社会の波に飲まれて大変な思いをされてきた時期もあったでしょう。
晴野さんの裁判を機に日本で「セクシャルハラスメント」という言葉が世に認知されるようになりました。
大変だったセクハラ裁判が世間に広まりハラスメント意識改善に一役買ったのではないでしょうか。
まだまだ無くならないハラスメントが少しでも減っていくことを期待したいと思います。
コメント