【画像】金賢姫の教育係は田口八重子!元ホステスで美人と話題

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1987年11月29日に民間機を墜落させた大韓航空機爆破事件の実行犯である金賢姫さんについて2023年3月21日仰天ニュースで放送されます。

金賢姫さんは北朝鮮の工作員として活動し、日本語を覚えるように指示されていたようです。

金賢姫さんが日本語を学ぶために教育係としてつけられたのが拉致被害者の田口八重子さんでした。

金賢姫さんと教育係の田口八重子さんの関係や元ホステスであった過去をお調べしましたのでご紹介します。

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【画像】金賢姫の教育係(田口八重子)は元ホステスで美人だった

同じアパートの友人とのお別れ会

上の写真は田口八重子さんが22歳くらいのときです、美人な人ですね。

八重子さんは1955年8月10日埼玉県生まれで、2023年に生きていれば68歳になります。

7人兄弟の末っ子で、父親からとてもかわいがられていたそうですが、10歳のころ父親を亡くしています。

父が亡くなったことで貧しくなり、高校は中退して早くから働いていたといいます。

姉と16歳のときの八重子さん(右)

結婚して当時1歳と3歳の子供2人がいましたが博打にのめり込み生活費を入れない旦那に代わって都内でホステスとして働いていたそうです。

八重子さんはホステス200人がいる中で売上15位のなかなか美人で有名だったと当時働いていた人が話しています。

1978年6月、店の常連客の中に北朝鮮の工作員と関わる人物が何度か来ており、八重子さんは拉致されたと警察の調べでわかっています。

お店の人には「新潟に2〜3日行ってくる」と話していたとか。

北朝鮮で八重子さんは李恩恵(リ・ウネ)という名前になっています。

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田口八重子は金賢姫の教育係として何をしていた?

28歳のころの金賢姫

金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんは北朝鮮外交官の娘に生まれ、大学在学中に朝鮮労働党の工作機関に選抜されます。

1981年7月から1983年3月まで、金さんは日本人になりすませることができるように日本語を覚えるよう命じられ、教育係として田口八重子さんと一緒の集落で暮らすことになります。

八重子さんとは日本語のみで会話するよう求められ、日本人の習慣や日本の映画、歌やメイク方法など教えられたと金賢姫さんは話しています。

拉致された日本人はエリート外国人として扱われ、普通の北朝鮮の人々は目を合わせるなと教えられるほど階級の高い人として衣食住を与えられていたとか。

そのせいか八重子さんは金総書記の誕生日パーティーに出席させられたこともあるようで、金さんにパーティーの様子を

女性歌手が裸にさせられていた

と話し、言ってはいけないことだとすぐさま聞かなかったことにしてほしいと否定しています。

北朝鮮幹部のことをいろいろ知りすぎていると思われているのか、1961年7月、八重子さんは

軍部隊の車と衝突して死亡

と北朝鮮は発表しています。

金賢姫はなぜ恩赦されたのか

1987年、金賢姫さんは幹部から大韓航空機爆破という任務を与えられ、115人の命を犠牲にしています。

金さんは北朝鮮政府から韓国はアメリカの植民地と教えられ「韓国を自由にするための任務」と聞かされていました。

自分を信頼してくれて重大な任務を与えられたと思っていたようです。

しかし政府が言っていることが嘘であるとわかり、十分に反省と後悔の気持ちが韓国の大統領に伝わったと思います。

死刑判決から一転、刑罰が消滅し(恩赦)、現在韓国で暮らしています。

2010年に日本政府が金さんを日本へ招いたときも、日本語能力の高さに驚かれていました。

これは八重子さんのおかげだと言われています。

そんな八重子さんは北朝鮮で生きていると金さんは話します。

まとめ

金賢姫の教育係・田口八重子さんについてご紹介しました。

拉致問題、解決に向けて動くこと祈っています。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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