【宮崎勤】人肉を食べた&手の障害は嘘!最後の言葉もヤバかった

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宮崎勤
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宮崎勤容疑者は1988年から89年にかけて東京、埼玉で4人の幼女を誘拐し殺害した殺人鬼です。

また人肉を食べたなど異常な発言をしており、最後の言葉までサイコパス性を感じさせますが、嘘も多いです。

そこで宮崎容疑者の嘘の発言や最後の言葉をまとめてご紹介します。

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宮崎勤の人肉を食べた&手の障害は嘘!

宮崎勤容疑者は裁判で「人肉を食べた」「死んだおじいさんに捧げるための儀式」といった過激な発言で注目されてきました。

人肉は「生でも焼いても食べた」と供述していますがその残骸や血液がなく、虚偽の発言だろうと専門家は下しています。

また宮崎容疑者は生まれつき両側先天性橈尺骨癒合症(とうしゃくこつゆごうしょう)という手の平を上に向けられない(手首を回せない)という障害を持っていました。

生まれつきの手の障害のせいで宮崎容疑者は学校でいじめられるようになり、障害を他人に悟られないように自分の殻に閉じこもり、そして外的世界を閉ざしていたといいます。

手の障害が連続殺人事件を生み出す要因になったという専門家もいます。

手の障害は事実のようですが、それに関わる供述はほとんどが嘘で、決定的写真がありました。

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宮崎勤の手の障害はほとんど支障なかった!

警察署を出るときの宮崎容疑者

宮崎容疑者は手のひらを回せない障害をかなり気にしていたと見られます。

女の子にからかわれるのが嫌で、中学校は男子校を選んでいるほどです。

法廷では前ならえで手を垂直にしたあと手のひらを上に向けるよう弁護人に言われ、できないことを見せていました。

「バイバイ」することもできないと証言していますが・・

手を上に向けられないなら自分の顔を覆うのもできないはずですが、上の写真だと出来ています。

他にも宮崎容疑者は

・障害者手帳を申請していない(これだけ重度にも関わらず)
・自動車免許を所得(条件は「眼鏡等」のみ)
普通にハンドルを握って運転でき、ドアも開けられた
・自らのいじめ体験を語る教師や友人の話に宮崎容疑者のいじめ話はでてこない

宮崎容疑者は「親は手の手術をしてくれなかった」と発言していました。

父親にそれを聞くと「小学校5年生のとき、手術させようと病院に連れて行ったが、泣いて拒んだため、手術できなかった」と話しています。

父親に話を聞いても宮崎容疑者の手の障害は軽度で、日常生活に支障はなかったようです。

逮捕当時26歳だった宮崎容疑者は、そんなに手の手術というなら自分でできると思いますが・・

宮崎容疑者の家庭はお金持ちだった

宮崎容疑者は1962年8月21日、現在のあきる野市で裕福な家庭の3人兄妹の長男として生まれました。

父親は地域新聞会社「秋川新聞」を経営していて、自営業で忙しい両親に代わって知的障害の当時30歳の男性と祖父が幼少期の宮崎容疑者の面倒を見ていたとか。

中学高校は明治大学付属中野高等学校に進学しています。

片道2時間かかって通学していたそうですが、偏差値70超のエリート学校に通っていたとは意外です。

父親は宮崎容疑者をかわいがりほしいものはどんなものも買い与えたと証言しています。

宮崎容疑者の事件後、両親の家には「お前も死ね」「殺してやる」など心無い手紙が大量に届いたそうです。

そして父親は飛び降り自殺、妹一人は婚約破棄、もう一人の妹は看護学校を自主退学という悲惨な末路をたどっています。

宮崎容疑者の最後の言葉

幼女殺害の反抗動機は「頂戴の格好をしたときに、おじさん手がヘンよとバカにされたから」だそうです。

出会ってすぐ4歳〜7歳の子がそんなこと言うでしょうか。

宮崎容疑者の部屋には、5700本以上のビデオテープがありました。

漫画やアニメも大好きでいわゆるオタクだったそうです。

そんな宮崎容疑者は2008年6月17日、死刑執行となっています。

死刑と告げられた宮崎容疑者は冷静に受け入れ、最後に言いたいことはあるかの質問に

あのビデオまだ途中だったのにな

と言っています。

被害者家族への反省や謝罪の言葉を最後まで言うことなくこの世を去っています。

悲しい人生ですね。

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