大平吉郎の自宅(家)はどこ?現在はマンションの人気物件になっていた!

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大平吉郎
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20億円という遺産を残して亡くなった盛岡市の大平吉郎さんの自宅はとても広い家だったそうです。

自宅の総面積は1500平方メートルと言われ、これはテニスコート6面分の広さに匹敵するので大きな土地ですね。

そこで大平吉郎さんの自宅(家)はどこだったのか、現在はマンションですがどんなところなのか調べましたのでご紹介します。

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大平吉郎の自宅(家)はどこ?

大平吉郎さんの自宅は盛岡駅から徒歩10分ほどのアクセスのいい場所にあり、2010年までは未婚の姉2人とも一緒に暮らしていました。

2024年現在はマンションとなっていました(こちらの住所は「岩手県盛岡市長田町4番6」)。

自宅には緑豊かな庭園や蔵があり、蔵からは現金8億1千万円とサファイアなど宝石もあったとか。

吉郎さんは4人兄弟で上にお兄さん1人とお姉さん2人いましたが、お兄さんは戦死しています。

一緒に住んでいたお姉さん2人と吉郎さん3人とも結婚しなかった理由はわかりませんが、よっぽど財産を他人に取られたくなかったのでしょうか。

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大平吉郎の自宅は現在人気マンションに!

レーベン盛岡中央通りTHE VISAGE(マンションレビューより)

朝日新聞DIJITALによると、大平吉郎さんの土地は2020年に地元の不動産屋に売却され、2024年1月ごろにマンションが完成されるとのことでした。

2024年1月に盛岡市長田町に完成するマンションを調べたところ、「レーベン盛岡中央通りTHE VISAGE」の可能性が高そうです。

こちらの物件は盛岡駅から徒歩9分で飲食店やスーパーも近くアクセス抜群な11階建てとあり、即完売となっていました。

盛岡駅は東北新幹線も停まり田沢湖線など複数の路線もあるとても便利なところですから人気が出るのも当然ですね。

大平吉郎の所有する不動産が多すぎる

大平吉郎さんは1500平方メートルの自宅のほかに盛岡市内の中央通りなどに33の物件があったそうです。

それら物件の評価額は7億円以上で、総遺産は20億円ありました。

吉郎さんは2010年で姉2人が亡くなったあと遺産をどうするか考えるようになったそう。

2012年には遺言書案を作り、財団を設立し母校である早稲田大学に寄付しようともしていました。

ですが話し合いの途中で納得できないことがありやめてしまったといいます。

当時90歳で「遺言書は95歳になったら作る」といっていたそうですから、自分が死ぬことなんて考えられなかったのかもしれません。

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大平吉郎の財産はどうなった?

大平吉郎さんは生前「親戚と言える者はいないし、いてもびた一文も渡したくない」と言っていたそうです。

遠戚だったの竹内美枝子さんは幼い頃吉郎さんと一緒に住んでいたことがあり、吉郎さんのお父さんとは生前仲が良かったといいます。

それでも吉郎さんが生前

親戚に財産は譲らない

と言っていたことが重視され、盛岡家庭裁判所は竹内さんとその伯母への相続をさせませんでした。

過去に吉郎さんの土地の売買契約の手続きをした不動産業者の妻と子供は吉郎さんが亡くなる2週間前から介護をしていました。

裁判所は彼らに200万円を分与するとしました。

吉郎さんの近所に住み屋根に雪が積もったときは雪かきをしていた男性には200万円の分与としています。

竹内さんが吉郎さんの父親と仲が本当によかったかは確認できませんが、それにしても独り占めしたがりな人間に見えますね(笑)。

何人かの人が吉郎さんの遺産相続に名乗りを上げ、仙台高等裁判所にまであがったそうですが、遺産のほとんどは国庫に入ってしまいました。

大平吉郎の死因は?

大平吉郎さんの死因ははっきりと公表されていませんが、亡くなる1ヶ月前に庭で転び頭や肩を強く打って救急搬送されています。

数日後に容態が悪化し肺炎の症状が出ても家を空ければ泥棒が来るかもと入院を拒否しています。

そうして遺言を作れずに息を引き取ったそうですので、老衰と言えるのではないでしょうか。

大平吉郎プロフィール

大平吉郎
大平吉郎さん(Xより)

1921年盛岡に大地主の次男として生まれています。

早稲田大学を卒業し名古屋の機械メーカーに勤めていましたが終戦後にお兄さんが亡くなったとわかり盛岡の実家へ帰っています。

盛岡では県立高校の数学教師をしていたそうなので人生の計算は得意そうですが・・

吉郎さんのヘルパーによると、穴が空いた布団を使い続け、食事はたまにうなぎを食べても質素なものだったといいます。

通っていた医者の証言では「泥棒から家を守らなくちゃ」ということで自分で庭の木を切ったりして転んでは来院していたとか。

「大変だ、大変だ」が口癖で

財産が国に取られるのは絶対に嫌だ

とも言っていたそう。

もっと若い時から財産についてじっくり考えることができれば良かったですね。

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