韓国の旅客船セウォル号沈没事件の写真を見ると、窓を叩いて救助を求める人が複数写っているものがあります。
訓練を積んできた警察官であればすぐさま救助すべきところを、当時の警察はほとんど救助しなかったそうです。
セウォル号の動画や意見についてまとめましたのでご紹介します。
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セウォル号沈没事故とは?
2014年4月16日、仁川港から済州島へ向かっていたセウォル号が転覆しそのまま沈没する事故が起きました。
船内には修学旅行中の檀園高校の生徒325人と教員14人のほか、一般客108人、船員29人の合計476人が乗船しており、死者と行方不明者が304人にのぼる大事故となりました。
この船には車両150台ほどが積載されており、2倍以上オーバーな積載量で船体が不安定だったことに加え、新人航海士による急激な旋回でバランスを崩したことが直接的な原因とされています。
さらに船員29人のうち15人が乗客を船内に残したまま逃げ、到着した海洋警察の救助船に真っ先に救助されていました。
彼らは船員だとバレないように制服を脱いで一般人を装っていたこともわかっています。
韓国の船員法にも人命の救助に必要な手段を尽くさなければならない規定はあるようですが、彼らにその義務を負う考えがなかったのも衝撃を受けた人も多いのではないでしょうか。
【動画】セウォル号で窓を叩く様子
こちらはヘリコプターで救助される様子が写っていますが、横になった船の窓からは船内に残されて手を叩く人も写っています。
400人以上も乗客がいるのに動画にはヘリコプターと数隻の船しか来ていません。
助けられたのは乗客の4割にも満たず、船内には
その場から絶対に動かないでください
のアナウンスがずっと流れていました。
助かった生徒は人の言うことを聞かなかった子だと報道もされ、まるで罪人のような扱いですね。
セウォル号で窓たたく手が忘れられないの声多数!
セウォル号で窓たたく人を救助しなかった理由は?
こちらは到着した海洋警察が非常口から落ちた人だけを拾い上げるようすです。
非常口から助かった乗客は
非常口の内側に友達がたくさん残っていると言ったのに、静かに眺めているだけだった
と当時の海洋警察の救助ぶりを話していました。
窓にはライフジャケットを着ている人が複数写っており、警察は目視確認していたそうですが、落ちてくる人を乗せるだけで窓を開けようともしませんでした。
窓から明らかに人影が見えているのに助けないとはどういうことでしょうか。
海洋警察からは
(船員たちが)乗客を脱出させていないとは考えもつかなかった
船内に数百人がいたことなど、何の情報も知らされていなかった
旅客船の規模から事前に乗客数が把握できない韓国警察のずさんな体制が明らかになりました。
韓国海洋警察もひどい!
事故当時日本から救助協力の依頼があったそうですが、韓国海洋警察は断っていました。
また現場から190キロの海域には米軍の強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」からヘリコプター2機が応援に駆けつけてくれたものの断ったそうです。
さらには韓国の海難救助隊のダイバーが現地に到着したにも関わらず海洋警察は締め出し、セウォル号の運営会社と契約していたという民間業者のダイバーに救助を頼んでいたといいます。
人命救助の行政機関が特定の企業と癒着しまともな救助もできないのでは国としての信頼もなくなってしまいますね・・
救助を怠ったとして韓国検察は海洋警察指揮部を起訴しています。
韓国海洋警察の指揮部に無罪
2023年11月、海洋警察指揮部の11名が最高裁の判決で無罪が確定しています。
無罪の理由として
船長と船員たちが乗客に対する現場状況についてまともに報告しなかった状況で退船命令もせず脱出したため、
ハンギョレ新聞より
海洋警察指揮部としては大規模な人命被害を予見することが難しかった
と判断しています。
これでは韓国でどんな事故が起きても国は責任を負わないということですね。
遺族たちも納得しておらず、壇園高校の生徒の父親は
やっぱりだった。
最高裁までも納得できない常識に反する判決を下す現実で、国民は誰を信じればいいのか、
もどかしく悲痛であまりにも腹立たしい
と話しています。
セウォル号は日本で運航していた!
実はセウォル号は鹿児島県奄美市の運航会社であるマルエーフェリーにより1994年に長崎で製造され2012年までの間、「フェリーなみのうえ」という名で鹿児島と沖縄を運航していました。
2012年に韓国に売却され改造されて乗員数も804人から921人へ増えた状態で運航されてきたようです。
韓国の会社に売却されてからというもののまともな検査もされず違法な改造でいつ沈んでもおかしくなかったそうで、乗組員は乗りたくたいと陰口を叩いていた人もいたとか・・
マルエーフェリーもがっかりですね。
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