日本赤軍最高幹部の重信房子の娘・重信メイさんは、レバノンに生まれています。
父親はパレスチナ人で活動家でもあったため、暗殺される可能性があり、長期間無国籍で暮らしてきたようです。
そんな重信メイさんの生い立ちは大変壮絶でしたのでご紹介します。
重信メイの生い立ちが壮絶!
1973年3月1日、北はシリア、南はイスラエルに挟まれたレバノンで生まれた重信メイさんは、生まれた時から日本やイスラエルに追われていました。
メイさんは追跡や暗殺を恐れたくさんの家庭を転々とし、幼少期に母・房子とほとんど一緒に暮らしていません。
学校でも偽名を使い、友達や恋人と親しくなっても身の危険を感じると連絡もせずその地を捨て転校する生活・・。
郵送物の中に爆弾を仕込まれたこともあったそうで、母と一緒に暮らしたのは小学1年〜小学校卒業までの6年間だったといいます。
母は日本赤軍の活動もメイさんに教えていたそうで、親子仲はよかったそうですが、房子の本名を知ったのもメイさんが高校生の頃だったとか(シネマトゥデイより)。
父親を知らされず病院にも行けなかった過去
父親はパレスチナ人活動家であったため父親の素性が知られると、暗殺のターゲットにされる可能性があるとして教えてもらえなかったようです。
それでも幼い頃の重信メイさんは「あの人が私の父親なんだろうな」となんとなく知っていたとか。
メイさんが16歳のころ母に父の素性を聞かされていますが、そのうち父親はイスラエルとの戦争で亡くなったと聞かされています。
交通事故に遭っても身バレを防ぐため救急車を拒否し、知り合いの家で手当してもらい、28年間もの間無国籍で生きてきました。
重信メイはなぜ来日した?
身バレを防ぐために重信メイさんは母親とも英語で話し、自分が日本人であることは隠していました。
メイさんは英語・日本語・アラブ語を話すことができ、奨学金でレバノンのベイルート・アメリカン大学を卒業し、同大学院も出ています。
一方で母・房子はパスポートを偽装し日本に戻り、しばらく大阪で潜伏していましたが、2000年11月に逮捕されます。
メイさんは母が逮捕されたのがわかると日本に行くことを決意し、2001年3月5日28歳の時に日本国籍を取得し、同年4月3日に来日すると日本語学校に通っています。
中学生のときから母と離れて暮らしてきて、大人になって逮捕されたとニュースで知り、会いたい気持ちや心配する感情がメイさんを日本に向かう気持ちにさせたのではないでしょうか。
2023年現在の重信メイは何してる?
重信メイさんは日本語学校に通った後、同志社大学大学院を卒業し、APF通信社の記者やリポーターも務めています。
2023年10月11日にはTBSの「報道1930」に出演し物議を醸しました。
テロ活動を支援してきた母・房子をメイさんは
母は無罪です
として擁護する発言をしています。
よど号ハイジャックやテルアビブでの無差別殺人を考えるととても許せるものではなく、母・房子はメイさんに日本赤軍の都合のいいことしか教えていないのかもしれません。
2023年で50歳になるメイさんはまだ独身で恋人がいる情報はありませんが、心の拠り所となるパートナーはいるのでしょうか。
日本人としては数少ないレバノンでの暮らしやイスラエルの情勢を知るジャーナリストとして今後の活躍に期待したいと思います。
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