タレントで巨乳キャラの先駆けとして人気だった堀江しのぶさんはかつて横山やすしさんのお気に入りでした。
共演する女性の名前を覚えない横山やすしさんが堀江さんの名前だけは覚えていたほどだったそうで、なぜこれほど気に入られたのでしょうか。
そこで堀江しのぶさんと横山やすしさんの関係や最期について調べましたのでご紹介します。
堀江しのぶプロフィール
堀江しのぶさんは1965年8月18日愛知県清須市生まれです。
名古屋経済大学高蔵高校1年生のとき、友達が賞金目当てで化粧品キスミーのモデルにしのぶさんの写真を送ったところ、ミス・キスミーに選出されています。
これに味をしめたしのぶさんは色々なコンテストに応募しおこづかいを稼いでいたとか。
高校3年生の頃、カーオーディオメーカーのクラリオンコンテストに応募し事務所の目に留まりアイドル活動を始めます。
翌1984年には「ビキニ・バケーション/BOY」で歌手デビューを果たし、当時のアイドルはグラビアをやりたがらなかった中、積極的に活動したことで大ブレイクします。
堀江しのぶは横山やすしのお気に入り!
天真爛漫な笑顔と愛らしいキャラクターでテレビに出まくり、1985年「毎度おさわがせします」1987年「男女7人秋物語」など多数のドラマにも出演していた堀江さん。
1986年には横山やすしさんが仕切る「ザ・テレビ演芸」の6代目アシスタントを務めました。
「ザ・テレビ演芸」は人気芸人や新人芸人が漫才を披露し、その完成度に対してやすしさんが毒を吐く時には堀江さんが正すというコンビとなっていたようです。
「おい!ねえちゃん」とやすしさんに言われた堀江さんは
いい加減に私の名前も覚えてくださいよ!
と切り返したそうで、切り返せるアシスタントは堀江さんしかいなかったそう。
そんな堀江さんのキャラが好きだったようで、ねえちゃんと言いつつもやすしさんは堀江さんの名前を覚えていたといいます。
ダウンタウンのお二人にやすしさんが説教をしていたことがあるのはよく知られていますが、この番組は長い間やすしさんのやりたい放題となっていました。
今では考えられませんが、MC中にやすしさんが酒を飲みサボっているときには堀江さんが一人で番組を回すときもあったとか・・
そんな堀江さんにやすしさんは甘えつつも可愛いがっていたそうで、この時期の番組は視聴率もかなり高かったようです。
しかし堀江さんに病魔が襲い、やすしさんは心の支えを失ってしまうことになります。
堀江しのぶにスキルス性胃がんが見つかる
他の女性タレントがやりたがらなかったグラビアの仕事も大胆なポーズで仕事に答えて人気を博していた堀江さん。
弱音をほとんど吐かなかったそうですが、1988年3月に「お腹が痛くて食欲がない」と言います。
翌月になるとお腹が膨らみだし、精密検査を受けると、6リットルもの腹水がたまっていました。
医師からは
実は、スキルス性胃がんです。
もって2ヶ月でしょう。
とマネージャーに伝えたといいます。
スキルス性胃がんとは通常の胃がんとは異なり、胃の粘膜表面からではなく胃壁の内部を這うように広がります。
このためスキルス胃がんは早期発見が難しく、診断された時にはほとんどが進行がんのようです(宇都宮クリニックビレッジより)。
マネージャーは必死の思いで愛知県から家族を呼び、本人にはがんであることを伏せたそうです。
開腹したところ、がんは卵巣にも転移しており助かる見込みはありませんでした。
堀江しのぶの最期は
1988年8月の誕生日は病院のベッドから起き上がれなくなっていました。
そして1988年9月13日、23歳の若さで堀江さんは亡くなりました。
堀江さんの亡くなる前の言葉は
私、仕事がしたい
だったそうです。
堀江しのぶの死に横山やすしも号泣
堀江しのぶさんの死が世間に伝えられると、真っ先に横山やすしさんが家族に電話をかけてきたそうです。
堀江さんの葬式でやすしさんは号泣していたといいます。
そのころからかやすしさんはお酒の量が増え、さきの「ザ・テレビ演芸」の収録中には立てないほど泥酔し収録が中止になったことがあったとか。
そうして1988年11月にはやすしさんの長男が傷害事件を起こし責任を取る形で番組を降板しています。
その後は相方の西川きよしさんに番組が引き継がれましたが、長くは続かず1991年で放送が終了しています。
堀江さんの死はかなりの影響をやすしさんに与えたのではないかと考えられます。
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